常磐線の旅3 偕楽園

 

2018/11/12

 

画像:偕楽園・弘道館パンフレットより。青丸が旧水戸城

三階櫓の在った場所。光圀公はこちらに居城されていた。

 電車が水戸駅に到着するなり、私は北口6番のバス停から直通バスに乗り、赤点線の経路で偕楽園バス停に到着した。

画像:偕楽園・弘道館パンフレットより。

 

 

 幕末の第9代水戸藩藩主徳川斉昭(なりあき)が天保13年(1842)に開園したのが偕楽園のようです。

 

 画像:偕楽園境内の掲示板から借用。

 

 

 でも、現在偕楽園を訪れる者にとっては、偕楽園は斉昭(なりあき)の企図した雄大な景観を与えるものではありません。

 

  

 なるほど好文亭の二階から眺めると、広大な景観がのぞめますが、巨大な石段を苦労して登ったあげく東門から入って目の前に現れる広大な梅園は、薄汚い広大な果樹園に過ぎず、突き当りの、好文亭は金持ちの数寄者が作ったせせこましい規模の、小さな数寄屋にすぎません。

 

  

 梅園を除くと偕楽園はなるほどたしかに千波湖を望み、雄大で美しいのですが、偕楽園の敷地は、斉昭が企図しなかった明治時代の鉄道と自動車道路によってみじめに分断されて、せせこましい小公園の寄り集まりと化してしまっています。

 

 写真:好文亭のなかの紅葉の間。豪華だが好文亭のせせこましさが誇張される装飾です。

このような紅葉を具現化する公園が周りにないから、亭の内と外とがマッチしていない。

崖下の公園にこの紅葉を具現する巨大な楓園を増築すべきだ。

 

 

 私が水戸市長なら、私は直ちに偕楽園を二分する常磐線の線路に蓋をかぶせ常磐トンネルとし、常磐トンネルの上に盛り土をしてこの公園を一体化させ、ついでに公園内を走る自動車道路を撤廃して、道路は千波湖を東方に迂回する道路に変更し、公園を公園らしく落ち着きのある佇まいに変更する。そして、広大な公園を斉昭の意図したとおり、植栽を増やし、人間が足で歩くか、駕籠で回れるように変更しますね。現状ではこの広大な敷地が有効に活用されていないのは惜しい。

 

写真:孟宗竹園はすでに存在しているからいいが、竹園の内部に孟宗竹を鑑賞する

散歩道をつくりたいですね。

 

 

 今のような分断された公園では、公園の南西隅にある徳川ミュージアムを訪ね、古の名君光圀公を偲びたいと思う気持ちなど絶対に起こりませんね。これは公害に侵された公害公園だと思います。

 

 

 私たちが期待するのは、なんといっても名君光圀公です。

 

画像: 徳川光圀

 

画像黒地葵紋金蒔絵印籠 

徳川光圀公所用

 

 

 これらの光圀公ゆかりの品々は、もちろん徳川ミュージアムで拝観可能ですが、私たちは必ず崖上と崖下をつなぐたった二本しかない橋を歩いてわたり、ボーリング場の横の殺風景を長距離歩かなければなりません。これは老若男女に不当な労働を強制するものです。

 

 斉昭の意図を正確に推察し、彼の意図を実現させる人間が水戸市にはいないのでしょうか? 残念です。

 

画像:好文亭入場チケット。このちっぽけな建物は天下の名園にマッチしていません。

 

 

 これで今回の常磐線の旅は終了です。白水地区はとても面白かったが、袋田と偕楽園は落第です。東京人にとっては不愉快な旅でした。

 

 

 

 では皆さま、御機嫌よう。